2015年10月

 

フランクフルトアップルワイン 10月26日(月)

  • 1999年、県教育委員会事務局にいた当時、7日間の海外視察を命じられました。文科省の視察団と違い県独自のもので、日程から訪問先、ホテル、フライトなどすべて自分たちで計画しなければなりません。そのうえ、出張とはいえ旅費の3分の2以上が自己負担です。10月のドイツを訪問したのですが、フランクフルトとミュンヘン2都市の学校施設を見学し、教育庁職員や教員との意見交換などを行いました。大変貴重な経験をさせていただきました。
    (下の写真は養護学校を見学中です。4人の児童に3人の教師がついています。左側の男性は銀行の頭取で学校スポンサーで寄付をしてくれる人です。企業の学校への寄付は控除がなされ、社会貢献が企業価値を高めるとのことです。うらやましい‼)
  • 夜は通訳なしで飯を食わなければなりません。苦労しました。わたしたち自身(3人)が英語に不自由なうえ、ほとんどのドイツ市民が英語を解しません。そんななか飲み屋で片言の英語を介してフランクフルト市民と盛り上がったのが、アップルワインバーです。
  • ドイツといえばやはりビールです。確かにミュンヘンのビールは素晴らしくおいしかったです。ところがフランクフルト市民の大好物はアップルワインなのだそうです。昼間の通訳さんに教えてもらったバーになんとかたどり着くと平日なのに大勢の人でごったがえしています。
  • さてアップルワイン。これがなかなかいけます。「more one glass、please」などと杯を重ねていると、店内の東洋人はわたしたちだけでしたが、フランクフルト市民が「おまえたちはヤーパンかチャイナか?」と尋ねてきました。日本人だと答えると「アップルワインはうまいか?」と質問「大変おいしい」と答えると周りも大拍手です。酔っ払い同士通じるものがあります。双方片言英語で話し始めました。
  • 一番記憶に残っているのは「この間の戦争では負けちゃったけど、今度戦争するときには一緒に勝とうな」というものです。かつての同盟国でしかできない会話です。つい調子にのって「We will win‼」と答えてしまい、肩をたたきあって乾杯しました。
  • 我が国の憲法では戦争ができないと言える雰囲気ではありませんでした。と言い訳しますが、ドイツ市民に誤解を与えたことは反省しています。しかし、よく考えてみると、どの国と戦争するのでしょう。当然アメリカということになります。
  • ワインバーの市民は普通の市民のようでした。ネオナチには見えません。普通の市民が今でもアメリカに対し敵愾心を抱いていて復讐したいと思っているのです。ドイツも日本と同様、アメリカの空爆で都市を焼かれ大勢の民間人が犠牲になりました。ドレスデンの大空襲が有名です。
  • 第2次大戦における米軍の空爆はピンポイントではありません。焼夷弾で円を描くように街を焼き、市民が逃げられないようにしてから、その円のなかに爆弾を落としていって殺戮するのです。ドレスデンでは15万人の市民が殺されたと言われています。
  • 日本では、沖縄戦で15万、本土への空爆で40万、原爆で21万の市民が殺されています。これは、よく考えると明らかな戦争犯罪です。サンフランシスコ講和条約で日本は賠償放棄していますので米国は謝罪していません。
  • しかし、日本人のなかでアメリカが弱くなったら今度こそ黒船以来の敵をとってやると考えている人は恐ろしく少ないでしょう。右翼のなかでさえ反米独立を唱えるのは三島由紀夫や一水会など少数ですし、自衛隊は米軍と合同訓練しているくらいですから、おそらく今度戦争やる機会は当分訪れません。
  • また横田基地という広い米軍基地が東京にあって首都圏上空が米軍の管制下に置かれています。米軍に我が国伝統の奇襲をかけてもすぐに制圧されてしましまうでしょう。ですから安保条約というのは日本に戦争させないための条約です。自衛隊の装備はかなり充実していますが、ほとんどすべて米軍を補完するためのものです。自衛隊単独で戦争できるような兵器はアメリカが売ってくれません。例えばステルス戦闘機は売ってくれません。空母も持たせてもらえません。
  • 太平洋戦争を振り返ってみると、米国海軍と日本海軍はすさまじい戦闘をしています。日本軍の戦略・戦術上のミスで負けた局地戦が大きいですが、それでも米国海軍が正面切って海軍同士の戦争をしたのは太平洋戦争が最後、日本海軍との戦闘が最後です。米軍と一緒にイスラム国と戦争することはあっても、自衛隊を太平洋に展開することをアメリカは許さないでしょう。
  • また、米軍機が墜落したら日本の領土であっても米軍が封鎖し日本の警察も消防車も市民も入れません。こうした不平等な地位協定をドイツはアメリカと粘り強く交渉し改訂しました。今もドイツ領内に米軍がたくさんNATO軍として駐留していますが、あくまでドイツの基地に置いてやっているという立場です。狭い日本国土にある米軍基地のなかに大きなゴルフ場やショッピングセンター、将校用の広いプール付きの家があります。
  • もっとおもしろいことがあります。米国の法律で市民の家の上空を米軍機が飛んではいけないことになっています。そこで基地内にある米兵住宅の上をオスプレイは飛びませんが日本人住宅の上は低空飛行します。また、アメリカ本土では野生コウモリ保護のためにオスプレイの飛行禁止区域があるそうです。つまり、米軍にとって日本人はコウモリ以下ということになります。
  • ドイツは米軍の占領状態を抜け出すために近隣諸国との友好関係を長い時間をかけて築きあげました。今ではEUのリーダーです。ベルリンの壁が壊れて東西ドイツが合併したとき、アメリカは合併に反対したそうです。ドイツはそれを退け統一ドイツを作りました。メルケル首相は若いころ東ドイツの共産党青年団にいたそうです。したたかな外交ができるわけです。
  • 米軍との地位協定以外にも日米原子力協定というのがあって、我が国はアメリカの承認なしに原発を止めることもできません。ドイツの教育関係者に「わが国にはプロイセン以来の教育の伝統があって敗戦後アメリカ式の教育を押し付けられそうになったが毅然として拒否した。日本とは違う」と言われてしまいました。
  • ドイツ人は敗戦で廃墟となった街並みを戦前と同じように復元しています。1999年当時未だに復元工事を継続していました。「ドイツを取り戻す」ことを彼らは敗戦直後から進めていたのです。
    (フランクフルト市役所前広場の写真です。)
  • かつての同盟国との差を痛感したアップルワインの味は、少し酸っぱかったです。懐かしくなって取り寄せました。神戸のドイツ商事という会社が輸入しいます。

 

梅酒 山崎 10月22日(木)

  • 鴨居商店がまた、不思議なものを出してきたのでご紹介します。
  • マッサンが初代所長として造った山崎蒸留所の古樽の内側を焼いて(焙煎)、その樽で梅酒を寝かせ仕上げにグレンウィスキーを加えて仕上げたというものです。山崎の古樽さえリサイクルして使うのか、サントリーは‼?さすがは大阪商人、鴨居商店ならではの商品だと思います。マッサンは草葉のかげで泣いているのではないでしょうか。
  • ニッカは、こういう酒を思い付きさえしないでしょう。ニッカ余市蒸留所には、世界に一人しかいないというウィスキー樽の職人さんがいるそうです。アサヒビールが梅酒をウィスキー樽で造るようニッカに命じたら、彼はきっと仕事を辞めてしまうでかもしれません。
  • さて、おもしろい酒にすぐ飛びつく悪癖のあるわたしは、その焙煎梅酒をいま現在飲んでいるところです。少しウィスキーフレバーがあります。飲み口は梅酒ですが、あれちょっとおかしいなと思うと咽喉越しにウィスキーの味がします。ウィスキーが入っているぶんアルコールが強いように感じます。舌先に残るのは梅酒独特の酸っぱさです。
  • おそらく梅酒のファンからもウィスキーのファンからも敬遠されるのではないでしょうか。わたしも3千円出してもう一度飲みたいとは思いませんが、梅酒もウィスキーも両方好きで一緒に味わいたいという方は是非一度お試しください。
  • サントリーの悪口ばかり書いているようですが、わたしはサントリーの酒も好きです。特に山崎の12年は本当においしいと思います。この間発売された知多もいい酒です。ただわたしは、余市のフレバーと舌ざわりが好きで、酒と一緒に余市蒸留所の物語も飲んでいるだけの話です。それでもサントリーの商魂たくましさを見るにつけウィスキー屋さんではないよねと思うだけです。
  • もちろんニッカにもおかしな商品があります。NHK連続テレビ小説「マッサン」でトシ兄いが考え付いたことになっている「ニッカ・アップルワイン」はいけません。りんごジュースを砂糖とアルコールで割ったら、こんな感じかなという酒です。アップルワインの本場フランクフルトの人々が飲んだら、怒り出す気がします。
  • 酔いが回って話が長くなりそうですので、フランクフルト・アップルワインの話はまたいずれの日にか。

 

秋晴れはいいですね 10月18日(日)

  • ここのところの晴天続きで、サルビアの花が咲き始めました。この間までの憂鬱が吹飛び、花壇にいる時間が楽しくなりました。
  • 上の写真の紺というか紫色なのがサルビア・レウカンサ(アメジストセージまたはメキシカンブッシュセージ)、黄緑色の房から濃紺の花びらを出しているのがサルビア・メキシカーナ・ライムライト(メキシカンセージ)です。その下にブルーキャッツアイの鉢があります。2枚目の写真、上下の花びらの中央が白くなっているのがキャッツアイで、直射日光に当てたら返り咲いてくれました。
  • 下の写真の空色のがサルビア・アズレア(スカイブルーセージ)、赤いのはみなさんご存知のサルビア・スプレンデンス、よく分かりづらいのですが下のコンクリートの前に咲いている赤い花がサルビア・エレガンス(パイナップルセージ)です。
    このサルビア花壇には、サルビア・コクネシアとサルビア・インボルクラータ(ローズリーフセージ)も咲いています。
  • サルビア・エレガンス。葉をこするとパイナップルの匂いがします。
  • 別の場所に植えたサルビア・インボルクラータは、支柱を立てなかったので倒れたまま咲いています。
  • おとぎやでは、サルビア・アズレアとサルビア・インボルクラータの苗を発売中です。

 

スイレンボク 10月14日(水)

  • 鉢植えにしたスイレンボクが咲いてくれました。
  • どうですか。確かにスイレンの花に似てますね。原産地は南アフリカで、シナノキ科の木です。現地では1~3メートルになるそうですが、日本の気候でそんなに成長するのでしょうか。というか成長されては困ります。鉢植えで盆栽のように楽しむしかありません。日光と水を好むので、水切れしないように育てる必要があります。日本の冬の寒さには耐えられないそうですから、冬は室内で管理します。新しい枝先に花を付けるので、剪定をすると新しいつぼみが付き、年に3回は花が咲くそうです。ポップには花期が8月までとなっていましたが、調べると9月とか10月とか意見が分かれています。夜の寒さに耐えて咲いていますので、もうしばらくは楽しめそうです。用土は赤玉と砂を半分にするとよいとネットで書いている人がいました。わたしは、培養土と鹿沼を半分で作りました。気温が10℃以下になったら室内に入れる必要があるということで大変ですが、冬越えにチャレンジしようと思います。
  • このスイレンボクの盆栽が、ネットで販売されていました。なんと4,980円でした‼おとぎやでは、まだ苗を販売中です。盆栽にして3,000円で売ろうなどと不埒なことは、現在のところわたしは考えていません‼?
  • ついでですので、花鉢を一つご紹介します。ダイアンサスのダイアナを円形の鉢に植えました。中央がへこまないように真ん中はギュッと詰めました。ダイアンサスは頑健な宿根草ですが、花びらが水に弱いので鉢植えにしました。雨の日は、ペチュニアと一緒に軒下へ移動します。一時期、花鉢よりも花壇のほうが水やりしないぶん楽でいいと考えていましたが、花鉢のよさは時季や天候によって移動ができることです。また、越冬や越夏、越梅雨がしやすこともあります。花の性質が体験を重ねながら分かってくるところも、園芸の楽しさの一つですね。

 

ガーデナーの憂鬱 10月8日(木)

  • 庭仕事の暑い夏があっという間に終わりました。その後8月旧盆過ぎから断続的に続く驟雨によって,ニチニチソウやジニアなどの葉が溶けたり、萎れてだめになったりで、ひどい9月でした。バラもしっかりと夏越しできたのに、この間の猛烈な低気圧の豪雨で、葉がたくさん落ちてしまいました。
  • 秋花壇というのはやっかいです。春夏から咲き続けてくれる花たちがある一方で、冬と翌春の準備をしなければなりません。前に書いたように、わたしは季節の花というのを自ら特定したくありません。花のことは花自身が決める。基本的に花は咲きたい間だけ咲けばいい、と思っています。
  • そこで、考えたのがジニア花壇です。ジニアのマゼランが割と頑健で丈も高く大きな花を咲かせてくれます。その前方にプロフュージョンやリネアリスを植えて立体感を出そうと思ったのです。11月寒くなるまでは咲いてくれます。ところが、雨のせいで湿気に強そうだと思っていたプロフュージョンもマゼランも皆、葉や茎が萎れて茎数が減り、プロフュージョンは皆横倒しです。今はご覧のとおりの無残な姿です。コスモスの鉢植を置いて、ケイトウを少し植えて、隙間を隠しています。
  • 豊穣の秋という言葉がありますが、憂鬱な庭仕事の秋です。鉢植えはコスモスの変わり咲きやシュウメイギク、ダリア、ペチュニアやゼラニウムを新しく植えたりして楽しいのですが、花壇を見るたびに憂鬱になります。
  • 憂鬱はもう一つあります。翌春の準備への切り替えです。昨年はそれが遅れて失敗していますので、今年は早く進めようと苗も種もネットで早く注文し、球根も早くから集めました。
  • まだ咲いていたいだろう花も早くに抜いてやらなければなりません。憂鬱です。
  • そのうえ、種まきも球根植えも、やっている暇がありません。会社員ガーデナーにとっては憂鬱な季節です。帰ってきたときには辺りは真っ暗。朝早く5時半には起きる必要があります。水やりが大変です。夏と違って花によって鉢の乾き方が微妙に違います。鉢土に触って乾き具合を確かめ、鉢底から水があふれるのを確かめます。時間がかかります。
  • 肥料もやったり、風が吹きそうな日は支柱を立てたり、朝の2時間ではとても足りません。ほんとうに憂鬱な秋です。

 

今日は何の日?「世界教師デー」 10月5日(月)

  • 今日はユネスコが定めた「世界教師デー」だそうです。1966年のこの日、「教師の地位向上に関する勧告」が調印されたことを記念するものです。
  • 35年間教員をやっていてこの日を知りませんでした。管理職(教頭・校長)を9年やり、県と市の教育員会事務局に9年間在籍していましたが、この日が話題になったことがありません。富士宮市の校長会長を1年間務めましたが、この日を記念することができませんでした。
  • ロイター通信によると「10月5日は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が1994年に制定した世界中で教師に感謝をする日と定めた「世界教師デー」。ユネスコによれば、近年就学児童の数は増加してはいるが、世界には依然として1億2000万人以上の未就学児童がいる。ユネスコはこの問題に取り組むため、2020年までに1250万人の教師を必要とするとしており、目標達成に向けた教師の育成と支援を各国に呼び掛けている。(フランス、パリ、9月30日)」なのだそうです。
  • つまり、発展途上国への関心を集める日ということが、ユネスコの趣旨のようです。
  • しかし、これは大きな間違いです。いわゆる先進国においても教師の地位は向上するよりも低下しているのです。例えば、世界1位の経済大国アメリカでは教員の給与が低いために、多くの教師が次の仕事へのステップアップとして教員の仕事についています。そのためマイノリティー(少数派民族)の教師が多く白人が少ないのです。
  • わたしが直接話したことのあるボストン近郊のニーダムという市の教員は、正規教員の数が少ないことを嘆いていました。2割に満たないということです。正規教員はその職責を果たすために夜遅くまで勤務するのですが、非正規は5時になると皆帰ってしまう。そのため正規教員にとってはブラック企業だというのです。
  • わたしは「日本にはデューイ(アメリカの哲学・教育学者)を尊敬しその理念を実現しようとする教員がいる」と話すと彼は大変喜びつつも、ブッシュが大統領になってから教育が競争主義になってしまいアメリカではデューイの教育が実践できていな言うのです。その後は、ブッシュの悪口を言い合って意気投合し酒の席が盛り上がりました。
  • 世界第2位の経済大国中国の教育施設を見学しましたが、教育委員会と学校長は共産党員のようで30代・40代の若さです。あまり教育に造詣が深いとは思えませんでした。学校では日本の進学高校のように、生徒が自分で教科書を学習し問題集を解いて挙手して答えるという授業を小学生のうちから進めていました。先生が説明したり生徒同士が討論しあう授業はありません。体育は2人の教員がいて3クラスほどを同時に担当していましたが、体操をさせた後は勝手にバスケやサッカーをやらせていて教員は煙草をふかし休んでいました。実験学校という小・中・高一貫教育の優秀校だというのですが、施設は日本より素晴らしいものの、授業内容は日本より50年は遅れています。
  • 党員ではなさそうな50代の先生方と酒席をともにしましたが、人柄の良い方が多く、文革などで苦労なさったのでしょうがそんなそぶりもなく、日本の教員とメンタリティーが似ていました。3杯(サンペイ、乾杯を一気に3杯やること)を繰り返し、李白の詩を中国語と日本語で朗誦するなどして大変楽しく飲みました。米国同様、中国の教員も社会的地位は低いようです。
  • 世界第3位の経済大国ドイツの教育も視察しました。「教員のほとんどが公務員なのは、ドイツと日本だけだ」と言っていたドイツの先生方も苦労していました。小学生の5割以上がトルコ系外国人労働者の子供で、ドイツ人との教育格差がひどく生活面でも困難に直面しているとのことでした。ドイツの伝統教育では朝7時頃から学校が始まり午前中に授業が終わって、子供たちは家に帰るのだそうです。ところが移民の家庭では親がいないため昼食もとれない。宿題もやってこない。そのため校内に給食施設を備えた放課後児童施設があり、移民の子供には午後も授業をしていると言っていました。
  • ドイツの大学は全部国営で無料です。そのかわり進学率は低く、中学生の段階から進学校、事務系就職校、マエストロを目指す実務系学校に分かれます。事務系の学校に行きましたが、校舎の内外に落書きが書かれ、休み時間に生徒が廊下に寝そべっています。それでも授業にはよく集中しています。生徒との対話の時間というのがありましたが、彼らから「日本の高校生は勉強しないというが本当か?」と聞かれ「たいへん勉強する者と街で遊ぶ者とに分かれる」と答えると彼らは「理解できない。何のために学校に行くのだ」と言われてしまいました。ドイツの進学校以外の生徒は16歳で自立し親元を離れ生活するものが多いそうです。日本の高校生とは自立心が違います。それでも麻薬の問題があり苦労していると先生方は話していました。ドイツの先生方の地位も高いとは言えないように思いました。
  • ドイツにも中国にも部活動というものがありません。ドイツのスポーツ活動はすべて社会体育、中国の場合は才能ある生徒を集めた体育学校で行われます。日本にはどの中学高校にも部活動というものがあって大変盛んです。ところが指導者はほとんどが教員で、門外漢も大勢います。部活動指導の超過勤務手当ては土曜日・日曜日以外はまったく出ません。教員の時間外勤務の規制が厳しくほとんどの場合、認められません。部活の後に仕事をするので、わたしも若いころから帰宅は9時過ぎということが多かった。家内は小学校の教員でしたが、早く家に帰る代わりに遅くまで児童の宿題の添削を家事の後にやっていました。それで出勤時間の1時間前、7時には学校に出勤するのです。ブラック企業です。
  • おもしろい話があります。3月15日富士宮大地震22時35分の後、教員のほとんどが学校に駆けつけました。避難者が少ない学校が多く、大半が帰宅したのですが、管理職ほか数名が朝まで学校に残りました。その手当てが県から出ないのです。午前12時でいったんリセットされるため8時間以上の時間外勤務で支出される非常災害特別手当支給に該当しないというのです。私は当時市教委の学校教育課長でしたので他市の課長とも協力して猛抗議をしました。やっと特別措置で支給が決まったのは半年後でした。地震対策先進県と言われる静岡県でさえ、この始末です。
  • あの3・15の時は、家の周りをざっと見て、すぐに庁舎に駆けつけました。すると6階天井のスプリンクラーが破断して天井から水が降り6階なのに水害状態でした。棚もたくさん倒壊していました。それを片付け一段落したら、各学校に電話をかけて状況確認です。管理職には携帯に電話。市外の校長で、そんな大きな地震があったんですかという反応にはビックリ。富士宮は大変なんだと答えて、すぐに車で駆けつけてもらいました。市役所の待機解除が午前3時、翌朝登庁は午前5時でした。
  • ブラックで大変だったのが、教頭時代です。朝6時半に出勤し(生徒が6時40分頃には学校に来ているからです)、その後授業を6時間ほどはやりましたので、書き取りやら作文やら生徒の授業ノート見て朱を入れたり一言を添えます。また、来客や電話に対応し、5時からは部活の顧問もやり、7時過ぎから事務仕事にかかりますから帰宅は11時か12時過ぎです。
  • 県教育委員会にいたころも大変でした。沼津まで通勤です。帰宅はやはり10時過ぎ、ひどいときは2時ころです。東名高速はなんとか走れるのですが、西富士に来ると寝ながら運転していました。そこで愛鷹パーキングに車を止め、後部座席2列を平らにしてマットレスを敷き寝袋に潜り込んで仮眠をとりました。事故も起こさず通えたのは本当に奇跡のようです。
  • 市教委にいた頃が一番ブラックでした。朝6時前に登庁し、朝日が昇って富士宮の町をゆっくりと照らしていくのを眺めながら仕事を始めます。8時を過ぎると学校から電話もかかってきます。週に平均3~4日は学校を1日訪問します。議会があるとその対応にかかりきりです。課長が直接議員に答弁する委員会が年に2回あって何を聞かれるか分からないので予算書決算書の中身を事業単位で精査するだけでなく、国や県の施策も一通り実務レベルで理解しておかなければなりません。夜はいろんな保護者や市民のかたのお電話、ご訪問、学校への指導も年間を通して行います。やはり帰宅は、午前様。土曜日日曜日は1日中役所にいました。学校の教員の頃よりも働いていました。それでも校長のときより給与が低かった。
  • 日本の先生の地位も決して恵まれたものではありません。民間企業はもっと大変だというお叱りをいただくかもしれませんが、苦労のわりに報われない仕事であるのは事実です。社会からの批判の目も厳しい。今だから言えますがクレーマーへの対応で教員も管理職も、心身が衰弱しています。マスコミは政府や政権与党、中央官庁、警察や検察、裁判所は批判しないのに、学校と教育委員化は目の敵にして批判します。不祥事を起こす教員がいるのも確かですが、民間はどうですか?歴代の社長が経団連の会長職を何回も務めた大企業でさえ組織ぐるみで粉飾決算している。
  • 新聞やテレビで教員不祥事やいじめ問題を知る一般市民は、日本の教員はダメだと当然のように思われているでしょう。しかし、韓国のいじめは日本の50倍くらいひどいです。もう犯罪です。教員不祥事は、アメリカや中国のほうがひどい。ネットで調べてください。この苛烈な環境で日本の先生はよくやっていると思います。日本でこそ「世界教師デー」がトピックになるべきです。
  • 義務教育の教員を支援してくれた唯一の総理大臣が、田中角栄大先生です。高等小学校しか出ていない角栄先生は「大学の先生でなく、小さい子供を教えている小学校の先生が一番偉い」と言って義務教育学校の先生の手当てをよくしてくれました。本当に偉い人でした。
  • 余談ですが、ロッキード事件で角栄先生がはめられたのはアメリカよりも先に中国と国交回復をしたことでキッシンジャーを激怒させたのが原因だという説があります。
  • 小泉総理の骨太の改革とやらで、教員の給与のうち半額を国が負担していたのが3分の1に変えられました。県がいま3分の2を負担しています。それ以来、給与も手当て下がる一方でした。それに反比例するかのように、学校が直面する困難が増えています。
  • 退職して他業種についているからこそ言える話です。世界第4位の経済大国日本でも、教員の地位向上が必要です。それは教員のために言っているのではありません。教育をおろそかにする国は、社会全体の知識基盤が向上しません。発展の可能性が低くなるのです。「平和で民主的な国家社会の形成者である国民の育成」(教育基本法)という教育の目的を達成することが困難になります。耳を傾けてくれる人がいらっしゃれば幸いです。

 

タイラさんのおかげです 10月3日(土)

  • どうしても飲みたかったシングルモルト「スペイサイド」をタイラ酒店さんが仕入れてくれました。ネットで探しても見つかりませんでした。ハイランドの蒸留所なのに「スペイサイド」というところが変なのか、どこでも売ってません。今回はスペイサイド8年が手に入りました。
  • スペイサイド蒸留所は、一度閉鎖された施設と土地を一人のブレンダーがすべて買い取り、30年の歳月をかけて再開したものだそうです。そうして、大麦の種子を発芽させ発酵させ蒸留し樽詰めして出荷するまで、また10年の月日をかけたといいます。
    スペイサイド蒸留所の写真。写真のスイセンの向こう側にあるトロミー川の川岸に建つ。
  • この話を読んだのは橋口孝司さんの『シングルモルトウイスキー銘酒事典』(新星出版社2004年)です。ウイスキーライターの書いたものを読むとほとんどがサントリーの支援を受けているなということが一目瞭然です。というのも、サントリーが資本を所有しているマッカラン、グレンフィディック、ボウモア、ラフロイグ、バルヴェニー、スキャパ、オーヘントッシャン、グレンギリー、ラフロイグについての書きぶりが手厚いのです。ところが、この橋口さんはサントリーもニッカも公平に扱っていますし、スコットランド・ウイスキーの扱いも公平であるようでした。
  • そこで、橋口さんが本で紹介している「まずは試したい21本」に挑戦することにしました。既に飲んだことのあるボウモア、ラフロイグ、マッカラン、バルヴェニーの4本を除く17本への挑戦を始めたのが、昨年の5月でした。退職金を使うささやかな楽しみです。タイラ酒店さんのおかげで、ほぼ順調に進んでいました。どの酒もうまかった。でも、どうしても「スペイサイド10年」に巡り合えません。21本が完成しない。
  • ネットにも痕跡無し。イングランドやスコットランドの酒屋のページでもソールドアウトです。そこでタイラさんにお願いして探してもらうことにしました。8年は徳島の業者さんが輸入してあったのですが、やはり10年と12年は見つからないそうです。
  • さっそく飲んでみました。幻想が大きかったせいか、ちょっと予想と違っています。熟成が進んでいない硬いウイスキーに感じました。香りは複雑で悪くないのですが、舌に当たる感じが硬い。飲み干したあとの味もアルコールだという以上のものがありません。やはり8年では早すぎるのでしょうか。10年はきっと違うのかもしれません。
  • ネットで英語のページをいくつか検索してみました。悪評もありました。WHISKY Magazine のフォーラムには”Bud whisky is bud"とまで書かれていました。そんなわけで日本に輸入されてこないのでしょう。橋口さんは「熟成より得られた芳醇な香りとピート香のバランスが絶妙だ」と書いていますが…
  • お口直しに次回のモルトの話は、イチローズモルトについて書いてみたいと思います。2本しか飲んでませんが、ほんとにうまい酒です。